園の歴史

広瀬幼保園の歴史広瀬幼保園の歴史

広瀬幼保園の母体は「社会福祉法人和歌山つくし会」でありまして、医師である初代理事長の谷本千鶴が戦後の悲惨な状況の中で「世の子ども達の幸せのために、もっと身をつくしたい」と考え、昭和29年に私設保育所を開所、その後、昭和41年に「財団法人和歌山つくし会」を設立、昭和44年には「社会福祉法人和歌山つくし会」が設立許可されました。「つくし会」という名称には、子ども達に対する初代理事長の大きな愛情が込められています。

広瀬幼保園の歴史
現在の広瀬幼保園の前身は、昭和31年10月に開設された和歌山市立乳児院であり、
まだ戦後の復興もままならず、大きな社会不安の残る中、家族と共に暮らすことの出来ない子どもたちのため、昭和32年4月に和歌山市立乳児院の運営委託を市から受けました。
広瀬幼保園の歴史

当時、和歌山市片岡町(現在の広瀬幼保園)において30名の子どもたちを受け入れましたが、当時は栄養失調の赤ちゃんが多く、亡くなるケースもあったので保育士と共に看護師の役割は多大なものであったとのことでした。

昭和48年8月に和歌山つくし会が和歌山市森小手穂に和歌山乳児院を独自で新設したこと、また、増加してきた働く女性の社会進出支援のため、保育所として一層の充実を図ることを目的とし、和歌山乳児院として使われていた建物を広瀬保育所として活用するため、和歌山市の昭和49年度事業において改築されることとなり、昭和50年6月、和歌山市より広瀬保育所の運営委託を受け、開園することとなりました。

その後、和歌山市片岡町近隣の公立保育所を廃園する代わりに、就学前まで受け入れられるよう、平成15年4月、和歌山市により広瀬保育所が新築され園児を統合、定員が60名から120名となりました。

また、平成28年4月からは幼稚園部を新たに設け、幼保連携型認定こども園 広瀬幼保園として認可を受け運営を開始、定員135名となり、現在に至ります。

広瀬幼保園の歴史
当園では茶道や立腰、漢字教育など特徴のある教育を行いながら、健康で心豊かな優しい子どもに育つことをめざす保育・教育を行っています。
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